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一、表現のテクニック(修辞法)Ⅰ~Ⅲ [講座]

 7つの表現テクニック

 一般的によく用いられる表現技法は、次の7つです。あなた方も知らず知らず使っているのがあるかもしれませんね。

Ⅰ 強調(法)

① 反復(同じ言葉の繰り返し、リフレーン)詩に多く見られます。
② 詠嘆(「ああ」など感情を込めた表現)詩や劇のセリフに多いです。
 これらは安易に用いると通俗で単調で、かえって逆効果になるから一般の文章には不向きです。詩や劇、歌詞などに多いのは、主観的な感情の吐露や余情・余韻を残して読み手に共感を呼び起こすからです。

《例》1.汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
     汚れちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる
                           (中原中也『汚れちまった悲しみ』より)
   2.雨の中に馬がたっている 
     一頭二頭子馬をまじえた馬の群れが 雨の中にたっている
     (中略)
     彼らは草をたべている
     草をたべている
                           (三好達治『大阿蘇』より)
   1は、用語の特異な詩人ですが、七五調のしらべが「悲しみ」をきわだたせていますね。
   2は、リフレーンの連続によって時間が止まったような永遠性がかんじられます。

Ⅱ 比喩法

① 直喩(または明喩、AはまるでBのようだ、の形。「まるで」の類語に「さながら」「あたかも」「いかにも」「~のごとく」などがある。)
《例》まるで炎のような情熱であった。 その情熱はさながら炎のごとく燃え盛った。

② 隠喩(または暗喩、AはBだ、の形。メタファーと呼ばれる)。
《例》炎の情熱。 情熱は炎と化した。(この場合、炎は「暗示」であり「象徴」でもある。)
 
 いずれもAとBとの関連性、連想が書き手の感性や表現の技巧によります。したがって、小説家の文章の大きな特徴にはなりますが、一般の文章には必ずしも必要ではなく、学生諸君が初歩から使えるテクニックではありません。
 村上春樹の小説に次のような表現があります。みなさんはどう思いますか。
 「相手の女は農具を入れる納屋並みに頑丈にできている」(『アフターダーク』より)
 これは直喩でもあり(「並みに」=のように)、隠喩(A女=B納屋)のようでもありますね。その心は「頑丈」というのですから、ひどい言い方(笑)ですね、あるいはうまい表現と言うべきでしょうか。もっとも崩れやすい納屋だってありますがね。

Ⅲ 擬人法
 国語を習い始めて最初に出てくる表現の方法ではないでしょうか。むしろ小学校に上がる前から、絵本や御伽噺などで慣れ親しんでいるのですから。
 これは比喩の一種で「活喩」とも呼ばれ、その名のとおり、人間以外のもの(生物であれ物質であれ)を人間のように生き生きと再生させる表現法です。童話や童謡などでも擬人法は子供たちに訴える力が強いですが、一般的に用いるとき、稚拙な印象を与えかねませんから、安易に用いないほうがいいかもしれません。
 《例》「歳月、人を待たず」などの名言には感心しますが、たとえば、「石が笑う」など奇抜な表現には、同感を得るか否かが問題ですね。

 なお、人のように表現するのが擬人法であるのに対して、逆に人をモノに擬(なぞら)えるのを、<擬物法>と称する場合があります。「あいつは操り人形だ」という場合、隠喩でもあり擬物法でもあるわけです。

 《問題》では、「吾輩は猫である」というのはどうでしょうか、考えてみてください。
 「吾輩は猫のようである」といえば直喩、その意味で「吾輩は猫である」といえば形の上では隠喩ですが、この小説のように「猫の視点」で物語が描かれるのですから、「擬人化」された猫から人間社会を覗いた<風諭>(次回)ともとれます。




 

 


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