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一、小・中学生の作文から [講座]

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<小学部>
 課題Ⅰ 「ふと・・・」から始まる作文(短文の練習)

❶ ふと気がつくと、道端のアスファルトの間に一輪の花がありました。この花はなぜそこまでして生      きようとするのか、そう考えると、花が「死にたいなんて、絶対に思ってはいけない」と言っているように思えました。一番大切なことを教えてくれた花よ、ありがとう。(6年女子)

<評>短文であっても、「はじめ・なか・おわり」の組み立てができていますね。

❷ ふと、ぼくは思った。なぜ宇宙ができ地球ができ人類が生まれ、そしてぼくがいるのか。こんな長い年月を経て今があるのは、ものすごく確率が低いことだ。もし、宇宙や地球や人類がなかったらと考えると、ぼくや友達がいなかったことになり、怖くなってしまう。(6年男子)

<評>小学生らしい疑問を書いていますが、書くことによって考えるという動作につながっています。

➌ ふと気がつけば雨に打たれ、ふと気がつけば風に吹かれ。空には雲が浮き、海には波が行ったり来たり。たくさんの人が住んでいて、笑顔がこぼれている。「ここはどこだろう」。(6年女子)

<評>想像力の豊かさが感じられます。文の止め方(吹かれ・来たり)が詩のようですね。

課題Ⅱ 意見文「ゴミについて」

❶ 今の世の中、人間が好きなようにしています。だから、ゴミもたくさん出ます。ゴミがたくさん出ると、それを処理するところから煙が出ます。その煙を人間が吸うと、体にわるいです。でも、それは人間のせいです。(5年女子)

<評>5年生ながら、意見文に必要な論理的文章になっていますね。主題も一貫しています。

❷ よく家庭ゴミを収集日に出していないのを見かけます。そのゴミをカラスが散らかしたり、火災のもとになったりします。解決方法は、ゴミを出す日を守り、余分なものを買わず、まだ使えるものはリサイクルすることです。(6年女子)

<評>身近な話題を具体的に提示しているので、説得力があります。文法の破綻のないきれいな書き方です。

➌ ぼくの家の近くに、エコランドというゴミ捨て場ができました。それは山の谷間にあります。ぼくは、自然の中にこんなものを造るのは反対です。それより、一人一人がものを大切に使う気持ちが大切だと思います。(6年男子)

<評>体験や見聞から書き始めるのが得策です。そこから(反対)意見を明確にしています。

<中学部>
課題Ⅰ じっと手を見る  
 はじめに―「じっと作文」と名付けました。文章を書くとは対象を映す行為です。何を見、そこから何を考えるか、それが文章に現れます。見る対象はなんでもいいのです。広くは世界そして社会から身近なものごとまで、あるいは観念や想像の世界も、そのことを「じっと」直視しないと、本物は現れません。そのものの本質が見えてくると、本物の文章が書けます。昔から、目利きとか目が高いとか目が肥えているとか言われますね。それはモノをよく見ている人のことをいうのです。文章がうまいと言われる人がよく陥るのが、知ったかぶりということです。文章の書き方は上手なんですが、表面的にすぎるのです。むしろ、知らないことを知らないままに疑問点を見つけられれば、それはやはりモノをよく見ているということですね。では、最も身近なあなたの手を「じっと」見てみましょう。

❶ 手をじっと見ていると、わずかなしわにも、これまで生きてきた年月が感じられる。そして手は、あるときは人を助ける勇気になり、あるときは自分自身を励ます活力になる。もしかすると手は、人間を成長させてくれるものかもしれない。(中略)ふだんあまりじっくり見ない手を通じて、いろいろと考えることができた。(中3女子)

<評>上手な書き方ですね。でも、「これまで生きてきた~」とか「もしかすると~」とかは、この課題からすると、頭で考えすぎです。手という対象に迫って「見る」ことに集中してほしいです。

❷ 私は、自分の手をじっと見つめてみた。爪の形が母とそっくりだ。こんなところまで似ているとは、おかしくなってしまう。人間とは不思議な生き物だと思った。(中略)親子には血のつながりがある。そして、他人同士にはない強い力が働く。けっして切ることのできない強い力を持っている。(中3女子)

<評>❶とは対照的に具体的な描写から書き出して、それが「不思議な~」という感想に結び付いていますね。作文の一つの典型です。ただ後半の「強い力」は、具体性に欠けて、やや分かりにくいです。

➌ じっと手を見ると、さまざまな思いが頭に浮かんでくる。父の仕事の関係で、ぼくはたびたび「別れ」を経験した。そして涙した。その涙をぬぐったのはぼくの手である。そのたびにぼくの手は強くなった。そしてぼくの心も強くなった。(中3男子)

<評>❶と同じように上手な文章ですね。「涙をぬぐう手」という着想がいい。この着想から「別れ」というもう一つの着想が生まれたのでしょう。この別れは父の転勤による転校、友達との別れが容易に理解できますね。

<まとめ>この課題には「落とし穴」があります。「手」という素材からは、詩の題材になるような感情と結び付けやすいからです。観察よりも観念(考え)で書いてしまう安易さがあります。だから一見上手な文章でありながら、内容に乏しい場合があります。文章はまずデッサン(よく見て書く)が大切であるということを知ってください。

課題Ⅱ 感想文―石川啄木(豕の部分は略字)の短歌より

 みんなで啄木の『一握の砂』を読み合わせ、その中から各自好きな短歌を選んで感想を述べるというもの。よく、生徒に感想文を押し付けるのはよくないとか、作文などは好きなように書かせたらよいとか、評論家や作家などが発言していますが、その根拠は示さない、言いっぱなしです。自分はそうやってきたと、自分流を押し付けています。「押し付け」は何事によらずよくないわけで、「好きなように」書ければレッスンなど要らないわけです。レッスンなしに上達するものはこの世にありませんよ。
 まずは生徒たちの発想の豊かさを見てください。
 *啄木は短歌を三行に分ける三行詩に特徴がありますが、ここでは五七五と七七を分かち書きにしました。

《選んだ短歌》大といふ字を百余り砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり
感想❶ 啄木の詩(短歌)には、死という字がよく出てきます。死について本気で考えていたんだと思います。(中2女子)
感想❷ 大という字の大きさ、自由さに自分(作者)は情けなくなった。しかし、この「大」の一文字が、啄木を立ち直らせたのだと思う。(中3男子)

《選んだ短歌》こみ合へる電車の隅にちぢこまる ゆふべゆふべの我のいとしさ
感想➌ このような啄木は、常に世間に遠慮して生きていたのではないか。孤独がそうさせたのかもしれない。(中3男子)

《選んだ短歌》しつとりとなみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな
感想❹ この日の啄木は、好きな人に自分の気持ちを伝えられないまま別れてしまったという口惜しさと、自分の愚かさに悲しくなって砂浜に出た。そして、砂に吸われる涙を見て、その悲しみの重さを感じたのです。(中3女子)

*原文の短歌は文語で書かれていますが、中学生は難なく読み切っています。私は文語と口語の主な相違点を説明しただけです。

(次項—高校部へ)






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