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《特集》気になる言葉遣い―話し言葉と書き言葉のずれ [講座]

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 ここで授業の合間の雑談風に生徒諸君と話し合いましょうか。「言葉の乱れ」といって、古い人間(私もそう)から苦言を呈することがよくありますが、「乱れ」とは何を指すのかはっきりしません。
 しかし、やり玉にあがるのは大方は巷の挨拶言葉、話し言葉のたぐいです。これをもって言葉の乱れというのは、世の中の乱れほどの大事とは思われません。
 私からすると、それは、話し言葉と書き言葉との乖離からくるものだと思います。したがって、その賛否を問う前に乖離の原因をつきとめて、直せるものなら直していこうというのが、私の考えです。
 次に例として挙げるのは、私が日常に見聞したものから抜粋したもので、このほかにもあなた方が「気になる」言葉遣いがあれば、その原因を検討してみてください。なお、その原因の多くは文法的な「ずれ」にあると思われますので、中学生程度の文法書(活用表など)を用意しておくとよいでしょう。

(1)まず、日本人の美徳である「丁寧さ」「相手を思いやる」「自分を遜(へりくだ)る」という心情から、おもに「話し言葉」による「不自然な」言葉遣いの例。

❶ ご注文は「よろしかったでしょうか」(よろしかった、が不自然)。
 目の前の現在の対応だから、「よろしい」でよい。または、過去のことに対応するなら、「よかった」でもよい。「よい」の丁寧体が「よろしい」であり、確認の「た」であれば、許容されるという見方もできます。改善例、「よろしいでしょうか」。

❷ レジで「1万円からお預かりします」(から、がおかしい?)
 預かるのは「お客さんから」である。1万円から「差し引く」意味で言うのでしょうが、略しすぎ。「預かる」のもおかしい、返さなければならないから。真意は「ひとまず1万円をお預かりしますが、そこからお支払い願います」。そんなこと双方わかっていること。改善例「1万円からお支払いですね」。

➌ 「~させていただきます」という言い方は巷にあふれています。
 これは自分を「使役」したうえ謙譲の語句を添えるという(外国人ならずとも)難解な話法なのです。まず、1.「食べさせていただく」(食べる、は下一段活用)2.「歌わさせてください」(歌う、は五段活用)3.「役立たせて~」(役立つ、は五段活用)のうち間違いは何番でしょうか。もうわかりますね、2が不自然ですね。どうしてでしょうか。ひところ「ら抜き言葉」(見れる、出れる、など)が問題になりましたが、近頃では気にならないという人が多くなりました(私は気になる派です)。今回は「さ入れ言葉」です。余計な「さ」が入っているのは2ですね。なぜなら、五段活用(と、サ変)の動詞には「せる」、それ以外(上一段、下一段、カ変)の動詞には「させる」という「使役」の助動詞がつくのが自然だからです。
 一つ問題は3です。「役立つ」は五段活用ですが「役立てる」というと下一段の動詞だから、次のようにつかうのが正しい。「~が役立たせる」(自動詞として)「~を役立てさせる」(他動詞として)問題:「私に話させてください」の文には「せる」「させる」のどちらが接続しているか。

❹ 「~のほう」という言い方も気になります。
 ほうは多分「方」の意味でしょうか、「右の方へ曲がります」「大きい方をください」などのように方角や比較を示す場合に使いますが、「お体の方はいかがですか」になると少しあやしくなります。前の2つもあわせて、いずれも方がなくても意味は通じるのです。これらの類推で「営業の方の仕事」「お値段の方は~です」「食事の方はもう済みましたか」などと使われるのだと思います。場面によっては「大きい方」と同じように何かと比較して言うこともあるでしょうが、やはりなくてもよい方ですよね。日本的な「婉曲的な」言い方で話法を和らげている、というのが私の見解です。

(2) 日本人とくに若い人は<形容詞>が苦手なのではないかというのが、私の感想です。次に気になる言葉遣いの特徴は、形容詞がらみの例です。

❺ 「すごいおいしい」という言い方が気になる、え、「普通に」言ってる? 「すごいおいしい匂いがする」の場合、すごいという形容詞は匂いにかかるともいえますが、ここは「すごくおいしい」というのが正しいのです。
 つまり「すごい」は連体形の形容詞だから、すごい音、すごい人のように体言の語にかかりますが、何かを形容する(詳しく言う)場合は「すごく」という連用形のほうがよいのです。連用形は他の用言(形容詞・形容動詞や動詞)にかかるので「すごくおいしい」「すごく静かだ」「すごく感動した」のようになりますが、あまり上手な表現ではありませんね。多分、「すごい」や「すごい」を副詞的(ものの程度)につかっていると考えられますが、「すごくすごい」表現ですよね。

❻ 「知らなさそうだ」はどうでしょうか。文法書には、「よい」と「ない」という2音の形容詞に「そうだ」が続く場合は、よいそうだ、ないそうだとなり、「伝聞」(間接推量)の意味になりますが、「様態」(直接推量)との区別ができないので、後者には間に「さ」を入れることになって、私たちは自然に「よさそうだ(です)」「なさそうだ(です)」とつかっています。
 それで助動詞の「ない」の場合に、この類推で誤りが生じるのです。助動詞のないにそうだをつける場合は、助動詞の語幹+そうだ(そうです)で「~なそうだ」となり「さ」を入れません。例えば、「知らなそうだ」「雨はふらなそうです」などと用います。少し不安定な語になるのでつい、「何も言わな(さ)そうです」と「さ」を入れてしまう、そんな文法なんて、あなたは「知らなそうです」ね。

❼ 丁寧過ぎて誤るのが、「とんでもございません」。これは「とんでもない」という形容詞だから、これを丁寧に言うなら、「とんでもないことです(でございます)」が正しい。
  これに類した言葉に「おぼつかない」があり、これを文語的に「おぼつかぬ」と否定の助動詞「ぬ
」をくっつける用法が、時代劇ドラマでもみられます。また「やるせない」を「やるせぬ」思い、などとつかうのも誤用です。いずれも、おぼつく(覚束)+ない(ぬ)、やるせ(遣る瀬か、古文では「遣る方無し」)+ない(ぬ)と解釈できなくはない。

❽ さらに、「難しい形容詞」の例として「好きくない」がある。つくづく上手い誤用だなあと、私は感心しましたよ。上手い誤用とはずるい言い方ですが、本来の「好きではない」では話し言葉としては堅苦しいと若者らしい発想で、うまく略語にしたんだと思ったからです。形容詞は「かろ、かっ・く、い、い、けれ」と活用する。「好き」を形容詞並みに連用形にすると「好きく」になる。ところが好きという語は形容詞ではなく「形容動詞」なのです。形容動詞は「だろ、だっ・で・に、だ、な、なら」と活用する、その連用形は「好きで」となる。
 では「欲しくない」「嫌いくない」「きれいくない」はそれぞれ正しいか正しくない(「正しくない」は正しい)か、答えなさい。

※➌の答え 「話させる」を分解すると、「話す」(五段活用の動詞)の未然形「話さ」に「使役」の助動詞「せる」がついたもの。また、サ変動詞の「する」に使役がつくと「さ+せる」であり、五段動詞とサ変動詞以外の上一段動詞「見る」、下一段動詞「出る」、カ変動詞「来る」にはそれぞれ「させる」が接続し、見させる、出させる、来させるとなる。

※❽の答え 「欲しい」は形容詞の連用形「欲しく」だから正解。「嫌い(だ)」「きれい(だ)」は形容動詞だから、その連用形は「嫌いで(ない)」「きれいで(ない」と用いるのが正しい。

(3)ここまでは、主として文法的な類推によるヘンな言葉を挙げましたが、「おかしな日本語」は他にもあります。いくつか紹介しましょう。*なお、「おかしな」は活用のない「連体詞」です。「おかしい」(形容詞)とは別です。

❾ 「耳障りがよい」と喋る人がいますが、私には「耳障り」で仕方がない。「障り」という漢字でもわかるように、耳に障りがある、感じがわるいという場合に使ってほしい。おそらく、「肌触りがよい」という言葉からの誤用でしょう。

❿ おなじく「生きざま」という言葉は、本来ありません。なにか悪い生き方でもしたかのように聞こえて気に障ります。「ざま」は様で、在り様なのですが、それが濁ると、「ざまを見ろ」「無ざま」となり、ついには「死にざま」と悪く言われます。ここは「生き方」「生きる姿」としたほうがよいと思います。

⓫ 文頭の接続詞の「なので」が気になります。話し言葉としては普通に使われていますが、せめて書くときは、「だから」「したがって」を使いたい。「文頭の」としたのは、文中で接続助詞として使う場合は、「夜中なので~」と使ってもおかしくはないのですが、これは「夜中だ」+「ので」であって、「なので」ではないのです。つまり、この「な」は断定の助動詞「だ」の連体形なのです。
 だから、文頭で助動詞から入るのはまずい。「だので」という意味だから、前文の文脈からわからなくはないですが、今はやりの略語めいて、品がない言葉だと私は思います。

⓬ 最後に、とっておきの「おかしい」「おかしくない」どちら? という言葉を一つ。
 「申される」、どう思いますか。「うちの社長が申されるには」と。いいんじゃない、丁寧で? 原則的に二つ間違っていますね。身内に敬語(でしょう?)をつかうこと、「申す」は謙譲語だから+尊敬の「れる」は相反する。
 これが「お申しつけください」になると、さらに突っ込みたくなります。申す(謙譲語)+「お」(美化語)はなじまない。「お~ください」は尊敬語の形だから、「申しつけ」がよくないのか。しかし、昔からこの語は便宜に使用されていて、「申しつける」「申し渡す」などと時代劇でもおなじみですね。上の者が謙譲語というのもヘンだが、「申し立てる」「申し込む」なら、ヘリ下る意になります。そもそも「申す」言葉は謙譲語というより、接頭語的な<常套句>であったのかもしれない。
 そこで、<改訂された敬語の種類2007年>(第二章の資料編参照)を改めて見ますと、従来は「謙譲語」は1つでしたが、新分類では謙譲語ⅠとⅡに分けられます。Ⅰは、「ご案内」「お手紙」(を差し上げる)のように相手をたてて述べる場合です。謙譲語Ⅱは、「参る」「申す」のように相手のためにへりくだって述べる場合で<丁重語>という新しいカテゴリに属します。しかし、「申し上げる」となると、Ⅰ、Ⅱどちらともいえます。
 したがって、例の「お申しつけください」は、尊敬語の形をとりながら、「申しつける」=「申し受ける」という丁重体にもなるという、うまい表現ともいえるのではないでしょうか。
(これで「特集」は終わります)
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*「文章講座」はしばらくお休みしています。続編を準備して3月中に再開いたします。(講師より)
 




 

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